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2006年3月19日 (日)

善光寺について考える1

Sany0118 正月に帰郷しなかった代わりにちょっとだけ飯田に戻って地元のテレビニュースを見たところ、善光寺の門前で発掘がおこなわれ、その説明会を18日におこなうというので、急遽予定を変更して長野へ向かう。
鎌倉時代の薬研濠が見つかったというのである。
現地説明会の資料には「垣間見る善光寺門前町の歴史」というタイトルがついている
調査は長野市教育委員会、文化財課埋蔵文化財センター
みつかった遺構の内、最も古い時代は古墳時代の竪穴住居跡でおよそ6世紀とのこと
調査区の南東隅からわずかに竪穴住居跡の一部が姿を見せていたが、わかりにくい土質の中で貴重な成果をあげている
なお、遺物だけなら縄文時代の石斧が見つかっているのは長野らしいとところ
中心となる時代は鎌倉時代から室町時代で、調査区の北よりを東西方向のV字溝が走っている
上端の幅は2.5m、深さは1.5m
埋土から大量の鎌倉時代の土器や陶磁器が出土したという
展示資料をみると、中国製の青磁碗や珠洲窯の擂鉢や土師器皿が並んでいる
青磁碗は龍泉窯系の蓮弁文碗で、土師器皿はロクロ成形だが全体のプロポーションは京都の13世紀代に似ている
溝は一部がとぎれて陸橋状になっており、その部分に柱穴が重なっている。
入り口とするには幅が狭いが門があったのだろうか
なお、この溝の埋土には布目瓦も含まれていたそうである

次の時代は室町時代とされる方形竪穴
さきの溝の南のすぐ近くでみつかっている
遺物をみると瀬戸窯の灰釉平碗があったが、これを指すのだろうか
そして最後の時代は江戸時代で、石組みの地下式貯蔵庫や石組みの水路や井戸がみつかっている
石組みの地下式貯蔵庫は河原石を野面積みにしたもので、京都や大阪でみつかるそれとそっくり
ただしこちらの年代では安土桃山くらいではないかとも思うが
また遺構の配置をみると方形竪穴と並んでいるので、時期は異にしているが使用者は関連していたかもしれない
また石組みの水路と土蔵の軸は合っているので同じ時期だろうか
元禄の一分判金が出ているからというわけではないが
この遺跡の安土桃山時代以降の風景は、大坂や京の繁華街に劣らない姿が容易に想像できるものだった
大門町は江戸時代に北陸諸国の大名が参勤交代の定宿とした善光寺宿の本陣がおかれたところで(ちょうど調査地点の東が本陣の藤屋)、さすが牛にひかれて善光寺詣り

ちなみにその時期の様子については、笹本正治さんの「中世末から近世初頭の善光寺門前町」『国立歴史民俗博物館研究報告』第78集1999が重要

さてそれでは鎌倉時代のV字溝はなんなのか
福原以来注目しているが、単純化して言えば、平安時代末期から鎌倉時代初めのステイタスの高い館はV字溝をもっていたのではないかと考えている
「吾妻鏡」によれば、源頼朝は文治3年(1187)に信濃国御家人と目代にあてて治承3年に焼けた善光寺の造営に尽力することを命じ、建久2年(1191)に再建がされ、嘉禎3年(1237)には五重塔も再建されたという
信濃と鎌倉幕府の関係は深く、たしか上田の塩田平に北条執権の守護館が築かれ、記憶が曖昧だが方形居館が推定されている
調べなおさないといけない
「一遍聖絵」にも有名で、「平家物語」には重衡の菩提を弔う寺として登場する
善光寺門前にそんな鎌倉や福原を彷彿とさせるような館の風景があったという想像は、まったくありえない話しではないと思う
考えなければならないことは無数にある
この溝に対する内側は南か北か
その場合の外側には館が続いていたのか道があったのか
少なくともここの場合は連続する館区画とは考えにくい
複雑な文様が施された小型の瓦器の意味するものはなにか
大阪の日置荘遺跡で見たような気がするが

いずれにしても善光寺は難しい
梨の話にしても、大室古墳群の積石塚にしても
菅江真澄にしても(善光寺と大陸との関係のエピソードは川崎保さんの「信州発考古学最前線」vol.45 小谷村の謎の文字-その2-にくわしい)
今回の調査を見て最初に思ったのはこの溝と条里との関係だった
もう10年以上前になるのだろうか
以前に長野県歴史館で中世の善光寺の復原図を見たときに、条里のような区画と善光寺と長野駅の間を北西から南東へ流れる川(鐘鋳川)の複雑な風景が頭の隅に引っかかっていたが、この溝は善光寺門前の町並みの中でどのような意味をもってくるのだろうか
目の前の遺跡とあの時の風景の関係を組み合わせようと四苦八苦
偶然出会った長野県立歴史館の川崎さんに元の善光寺の本堂の場所を教えてもらい、善光寺と条里の軸線の話しをしながら、あらためて善光寺をとりまく歴史の複雑さを実感する
歴史館の春季展の「古瓦からみた信濃の古代」が楽しみである
小学校3年から高校卒業まで暮らした街で
とくに高校の数年は毎日のように悪友達と歩いていた場所のことがなにもわかっていなかったということが今になってとてもよくわかることが非常に面白い
高校の時の友人で善光寺をテーマに作品をつくりたいと言っている男がいる
今年の夏は久しぶりに長野に帰って時間をかけて調べてみようか

飯田から中央道を経て長野自動車道を姨捨まできてサービスエリアで善光寺平を見ておもわず声をあげてしまった
善光寺平には飯縄山なんだ
http://scoophand.cocolog-nifty.com/zenkojihira.MP4

元屋さんの蕎麦はお薦め

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コメント

鋤柄さん ご無沙汰しております。春季展宣伝していただいて恐縮です。お送りしなくてはいけないものが、散乱しています。そういえば、善光寺の遺跡の画像も…。また、遊びに来ます。

投稿: かわさき | 2006年4月 2日 (日) 20時10分

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