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2007年3月 4日 (日)

今城塚へ行こう

ということで、今日は残りの必要な文献として
櫻井成廣1981『戦国名将の居城-その構造と歴史を考える-』新人物往来社

矢守一彦編集1981『浅野文庫蔵諸国古城之図』新人物往来社
を見るために奈良県立図書情報館へ行くつもりが

高槻市の今城塚古墳の現地説明会が今日だったことを思い出して急遽摂津富田へ
南山城の古代を語る上で不可欠な継体大王の墓で
かつ戦国時代には砦に利用され、さらに慶長伏見の大地震の明瞭な痕跡も残す重要遺跡
今回はその整備のための10回目の調査で、後円部に築かれた横穴式石室の基盤と推定される石組遺構が慶長伏見の大地震でくずれた姿で見つかったという
この業界の人間は、狭い自分の専門に閉じこもらずに
重要な遺跡の調査にはいつも知的好奇心を鋭敏にしておかなければならないと

後期古墳の大王墓級の主体部が発掘されたのはあまり例が無く
今後の古墳時代研究に貴重な資料になり
今回の調査結果により、継体大王がそれ以前の皇統を継ぐものか
あるいは新たな皇統を主張したものかについて説明できる可能性があるとも
ともあれJR摂津富田駅からすっかり春模様の道を急ぎ
ひろく平坦な扇状地に築かれた今城塚を訪れる

到着したのは公開時間ぎりぎりの3時で
最後の説明が始まったところだが
まだ多くの見学者が残っている
早い人は8時ころからきていたという
この仕事が社会に求められており、その意味で責任も重いことをあらためて実感する
これまでも何度も言ってきたが
部屋にこもって資料にあたるのも大切だが、リアルに社会と向き合うことはもっと重要
今回の調査が生みだすテーマと議論の重要性とその展開の可能性はともかく
少なくとも目の前の状況は圧巻

ところで今城塚の西南が宮田町
駅から今城塚へいく途中には春日神社がある
また駅のすぐ北を国道が横断している
中世の集落遺跡の研究がはじまったころ
高槻の宮田町3丁目の宮田遺跡の集落が
代表的なひとつの基準資料としてとりあげられた

そこでは、もちろんプリミティブではあったが
限られた資料情報から様々な議論がうみだされた
その頃はまだ遺物研究も盛んで
集落遺跡もそれにちかいミクロ的な検討が専らだったため
全く気がつかなかったが
あの宮田遺跡がここにあったとすれば
古墳時代後期にさかのぼる地域拠点の範囲内で
さらにもちろん街道沿いだったということも重要な要素だったことになる
もう一度昔の論攷を見直してみようと思いつつ
奈良県立図書情報館へとってかえす

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