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2007年4月22日 (日)

岡本東三さんに学ぶ

岡本東三さんの『東国の古代寺院と瓦』に、川原寺式軒丸瓦をはじめとする東国の古代瓦についての詳論がまとめられている

岡本さんの論文をたどれば
川原寺式と呼ばれる創建時の軒瓦は4種とされており
このうち丸瓦は
Aが、Ⅰ文様帯は中房に1+5+9の蓮子。各蓮子の先端に乳首状の突起と周環。複弁は大きく反転して写実的な躍動感。Ⅱ文様帯は幅広く、大きな鋸歯文の面違の段は右側
Bが、Ⅰ文様帯は中房に1+5+9の蓮子。弁は大きく反転し、全体が盛り上がる。Ⅱ区文様帯は細かな鋸歯文で面違の段は左側。Ⅰ文様帯はⅡ文様帯の境に太い界線
Cが、Ⅰ文様帯は中房の蓮子が直線につながる部分がない。やや平坦で立体感にかける。
Eが、Ⅰ文様帯は中房に1+4+9の蓮子、Ⅱ文様帯の鋸歯文は范型に段階で削られて、わずかにその痕跡を残すのみ。この瓦の同范例が筑紫観世音寺

こういった川原寺式軒丸瓦は、とくにⅡ文様帯が無文・圏線文・凸鋸歯文・線鋸歯文・綾杉状鋸歯文・幅線文・珠文・U字文・雷文などに変化し多くの発展をうむ
岡本さんは、こういった多くの川原寺式系軒瓦のうちで
「Ⅱ文様帯に面違鋸歯文を配する」ことを条件に
分布が畿内を中心に、東は下野薬師寺、西は筑紫観世音寺におよぶという
 下野河内薬師寺(観世音寺とならぶ戒壇を備え、道鏡が流された寺)
 上野佐位上植木廃寺
 上野新田寺井廃寺
 上総望陀大寺廃寺
 美濃厚見長良廃寺
 美濃厚見鍵屋廃寺
 美濃厚見大宝廃寺
 美濃厚見厚見廃寺
 美濃各務平蔵寺
 美濃各務伊吹廃寺
 美濃各務山田寺
 美濃各務野口廃寺
 美濃大巣蓆田廃寺
 美濃武儀大隆寺廃寺
 三河加茂伊保白鳳寺
 尾張葉栗黒岩廃寺
 伊勢桑名額田廃寺
 越前今立野々宮廃寺
 近江滋賀崇福寺
 近江滋賀南滋賀廃寺
 近江滋賀穴太廃寺
 近江滋賀膳所廃寺
 近江栗田宝光寺
 近江栗田長束廃寺
 近江蒲生安養寺廃寺
 近江愛知屋中寺
 丹波桑田周山廃寺
 山背相楽高麗寺
 山背久世平川廃寺
 山背宇治大鳳寺
 大和高市川原寺
 大和高市飛鳥寺
 大和高市豊浦寺
 大和高市橘寺
 大和高市和田廃寺
 大和高市大官大寺下層
 大和葛上巨勢寺
 大和葛下当麻寺
 大和吉野比蘇寺
 大和添上姫寺
 紀伊伊都神野々廃寺
 和泉日根海会寺
 河内石川竜泉寺
 河内石川新堂廃寺
 河内讃良高宮廃寺
 河内安宿原山廃寺
 摂津島上梶原尼寺
 摂津川辺猪名寺
 播磨神崎溝口廃寺
 因幡法美等々坪廃寺
 出雲意宇忌部神社神宮寺
 筑前御笠観世音寺
 豊前宇佐弥勒寺
 豊前宇佐虚空蔵寺

なお、興味深い事例として、Ⅱ文様帯にU字形を配する川原寺亜式の瓦が出土し、『扶桑略記』に天武天皇崩御の686年後の建立と伝える園城寺がみえるが、この寺は院政期に初めて「善光寺」が史料に登場した時に、強い関係をもった寺として登場する

さて、それでは東国において川原寺式瓦を葺いた寺院が出現した背景はなんだったろうか
一般に、畿内以外にひろがる古代寺院の成立は天武14年の天武朝の国家仏教施策によると言われ
なかでも川原寺式瓦を葺いた寺院の出現には、壬申の乱に功績のあった各地の豪族との関係がうかがえるのではないかという高橋美久二さんと八賀晋さんの論が知られている
ただし、岡本さんは
持統6年(692)の全国の寺院は545カ寺ほどだったと言うことを前提に
天智朝の施策と各地の豪族の動向がその原動力になったとしている
白村江の敗戦後、「甲子の宣」と呼ばれる諸政策や造籍事業が、各地の豪族層の掌握を前提に考えられること
そういった国家としての組織整備に対して、それぞれの地域においても同様な組織整備の動きが生まれ、地域におけるその象徴のひとつが寺院造営だったのではないか
と考えていると読める

確かに観世音寺や下野薬師寺の存在形態をみたときに
こういった考え方は、畿内政権をモデルにしたものとして合理的な説明が可能とも考えられる
関東でみられる郡寺推定遺跡の形も、その説明を傍証するものと言えよう
ただしもちろんその時の各地の豪族は
それぞれの歴史的な背景を元にした寺院造営に力を注いだことになるだろう
各地で発見される瓦の文様が、畿内の特徴をそのまま受け継いでいるか
あるいはどれくらい変容しているかが
そのときの各地の豪族の歴史的背景を物語る手がかりとなる
そんなことを考えながら善光寺の瓦をしっかり見てみたいと思っている

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