« 上醍醐 | トップページ | 牛にひかれて »

2007年5月 1日 (火)

明日香へ

明日から長野へ行く予定だが
その前にどうしても確認しておかなければならないことがあって
明日香へ
朝起きるとすっかり雨模様
さてどうしようかと思いながら午前中の用事をすませているうちに
なんとか空が明るくなってくる
よかったと思いながら郡山をでる

明日香に着く頃にはありがたいことにすっかり良い天気
明るい陽射しが広がる中
それまでどこにいたのかと思われるような観光客や
小学生の団体が姿を現す
石舞台を通り過ぎ川原寺へ

明日香の中心部は、甘樫丘と雷丘に西を、談山神社のおかれた多武峯に続く吉野高取の山塊のはずれを東にはさまれれ、石舞台から北西に流れる飛鳥川を軸に展開する
川原寺はそのほぼ南端にあって、ここより南は、ゆるやかな登りの傾斜で聖徳太子生誕の伝承にちなむ橘寺がおかれることになる

Dsc00782 法号は弘福寺(ぐぶくじ)で、『続日本紀』の大宝3年(703)に、大安寺・薬師寺・元興寺と共に見える。東を飛鳥川が流れる。
日本書紀、元亨釈書、扶桑略記などにより、斉明の川原宮からの造寺や天武の造営そして、斉明7年(661)の斉明天皇没から天智6年(667)の近江京遷都の間に、川原宮跡に斉明天皇の冥福を祈るために天智天皇が造営したとするなど、多くの考え方がだされている。
また、上御霊神社の祭神のひとりともなった

豊浦寺は、川原寺から飛鳥川を下って甘樫丘を越えた南に位置する
仏教伝来にかかわる重要遺跡で
『日本書紀』欽明天皇13年条には、蘇我稲目の小墾田家に欽明王から受けた仏像を安Dsc00793 置し、次いで向原(むくはら)の家を寺としたとあり、『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』には、蘇我稲目が向原の家を寺としたことを起源として、敏達朝には桜井道場に移され、後の推古朝に等由良宮を寺として豊浦寺と号し、宮は小墾田宮に移されたとする。
小墾田宮推定地から歩いて5分ほど南東の集落の中に向原寺が建ち、現在それを伝える遺構が残されている。

蘇我馬子が発願した飛鳥寺は、『日本書紀』によれば、崇峻元年(588)に百済から寺工・露盤博士・瓦博士が来て造営を開始し、推古4年(596)に塔が完成したと伝える。また、推古14年には今の安居院に残る丈六の銅の像を元興寺の金堂におさめたとされる。藤原京四大寺の一つであり、平城遷都後は元興寺に寺籍を移すが、日本最初の本格的寺院として明日香散策の起点となっている。

見たいものは見たが、見たかったものが見えなかったところもあった
けれども見ていなかったことが見えたところもあった
なにし明日香である
そう簡単にはことは運ばない
これも生涯不塾
日々是勉強と思いつつ

明日は長野

|

« 上醍醐 | トップページ | 牛にひかれて »