« 続続・伏見の中世 | トップページ | 善光寺のシンポジウムが開催されます »

2008年8月18日 (月)

元屋は開いているか

田辺で用事を済ませて今出川へ
伏見について、見ておきたい本と見ておかなければならない論文をチェック
京都教育大学の紀要のみ入手できなかった
弘風館前で知り合いに会って、これから長野へ行くと言ったら
羨ましそうな顔をされたが、確かに今年の京都の夏は激しい

新幹線の東京方面ホームは昨日から続くUターンの家族連れでいっぱい
かろうじてひかりの1号車に空席を見つけて座る
善光寺へ向かいながら伏見の中世を書こうと思っている
右往左往して紆余曲折して、書き出しが出来たと思ったが
まだ満足できる見通しがたっていない
伏見の中世を書こうと思っている
考えてみれば中世村落がテーマと言うことで得意分野である

キーワードのひとつは橘俊綱の伏見山荘を起源とする伏見殿
それが白河から後白河へ伝領されていく中で院政期の混乱に巻き込まれていく
美川圭さんの説明がスマートでわかりやすい

キーワードのひとつは宣陽門院が再興した即成院(伏見寺)
貞成親王の看聞日記を読み解いた横井孝さんの著作が豊かな室町期の伏見の姿を現してくれる

キーワードのひとつは、その看聞日記に登場する御香宮と伏見九郷の人々
ただし看聞日記には六郷が登場するという

そこまで見てきて、そもそも、この伏見荘とは何を生産の背景として成立して維持されたのだろうかということが気になった

名古屋でごった返している新幹線から、少し人の少ない中央線ホームに移り
冷たい伊右衛門を買って後頭部にあてる

中世村落研究の最もオーソドックスなものは再生産の仕組みである
平泉の骨寺村で見てきたように、領主がいて、農業や山業や河川などを背景とした利益が産まれ、その益によって村は維持された
あるいは畿内であれば、条里を前提とした小集落が、再編成された領主によって集約されていく過程で中世村落が生まれていった
(ちょっと教条主義すぎるが)

伏見の場合は一体なんだろう
古代の中心地は深草から藤森であるという説明が一般的である
紀寺式系の瓦を多く出す古代寺院が現在の名神高速道路と大和大路の交差するあたりにやたら密集する
弥生時代の大集落が発見された深草を起源として
秦氏の伝説をもつ稲荷周辺は
京都盆地南部の中でも農耕を基盤とした拠点が生まれ、維持される条件が整っていたと思われている

一方で伏見山の南西麓はというと
初めにあったのは御諸山の清水信仰とその門前集落だろうか
注目されるのは平安京が開かれた後であろう
少なくとも開発領主が原因ではない
山科川がせまる南麓と湿地のひろがる西麓に農耕に適した土地は広くない
看聞日記によれば、浄妙寺との争いや三栖との争い、さらに深草との争いがあるため、その荘域もけっして広くはない

けれどもその伏見荘では
即成院の鐘に呼ばれて、数百人の地侍が御香宮に集まったという
あまり知られてはいないが、伏見は義満がこだわったもうひとつの場所である
それがなにによるものか明らかにする必要がある
そして、義満以前に、この伏見にこだわった人物がいた
それが中世の伏見を説明する手がかりになるだろう
そして伏見九郷または六郷とはなにか
これもまた中世の伏見を説明する大きな鍵となるにちがいない
なんとか書けそうな気になってきたか
伏見の中世は、従来の中世村落研究の見方だけでは説明できないなにかを持っている

姨捨を一気に駆け下りる
陽は落ちたがまだ明るさは残っている
善光寺平の家々には、早い灯りがともっている
元屋は開いているだろうか



元屋は開いていなかった・・・・・

|

« 続続・伏見の中世 | トップページ | 善光寺のシンポジウムが開催されます »