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2011年5月

2011年5月30日 (月)

草原

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2011年5月29日 (日)

大政所御旅所

大政所御旅所


from 鋤柄俊夫

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大政所御旅所

大政所御旅所


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本居宣長修学の地

本居宣長修学の地


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2011年5月26日 (木)

カーナビに導かれて

初めてカーナビに頼った
ただし据え付け型ではなく、au携帯のアプリケーション
洛西からの帰り
いったいどんなコースをとるのだろうかと思い
小さな画面で見たときは、普通に一文橋から横大路経由に見えたが
なんと丹波街道をひたすら南下
大原野を過ぎ光明寺をすぎ、長岡天神の前をとおり
館がみつかった下海印寺を右手に見ながら八角で西国街道に合流したと思ったらすぐに淀方向へ
高速道路の工事現場を見ながら171を右折
もう少しいけば円明寺だと思ったら巨大な巨大な大山崎ジャンクションの手前でゆるやかにカーブしながら桂川を渡る橋へ
渡り終えたところで右折するとその先は新しくなった御幸橋
八幡である
洛西と大和
これまでは木津川左岸を北上して伏見で西へいくのが普通だとおもっていたが
こんなルートがあるとは気がつかなかった
しかも由緒のある
歴史的に意味のあるコースでもあった
カーナビもなかなかすてたものではないと不覚にも思ってしまった
ちなみに「最短距離モード」

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大原野神社

大原野神社


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2011年5月24日 (火)

第9回考古学と中世史シンポジウム開催のご案内

前略
お世話になります
中世前期の日本列島を描いた資料として有名な『一遍聖絵』にみちびかれて
中世社会のはじまりの実態を考えます
多くのご参加をお待ちいたします
敬具

第9回考古学と中世史シンポジウム
「聖絵を歩く 景観を読む」の開催のご案内

日   程   2011年7月2日(土)・3日(日)      
会   場   帝京大学山梨文化財研究所 (山梨県笛吹市石和町四日市場1566 TEL 055-263-6441)      
主   催     考古学と中世史研究会・平成20~23年度科学研究費補助金『一遍聖絵』にみる      
  中世都市成立期社会の遺跡情報学的研究(鋤柄俊夫・高橋慎一朗)      
共   催   帝京大学山梨文化財研究所      
資 料 代   4,000円(第9回シンポジウム資料集・第8回シンポジウム報告集代)      
         
7月2日(土)         
12:00 受付開始      
13:00~ あいさつ・日程説明    萩原 三雄 (帝京大学山梨文化財研究所)   
13:10~13:30 主旨説明 「一遍にとっての京都」    鋤柄 俊夫 (同志社大学)   
13:30~14:10 「一遍聖絵を読み解く」    遠山 元浩 (遊行寺宝物館)   
14:10~14:50 「『一遍聖絵』と中世社会」    五味 文彦 (放送大学)   
  Ⅰ 歴史の中のモニュメントを描く      
15:00~15:40 「大宰府 守護少弐の館」    山村 信榮 (太宰府市教育委員会)   
15:40~16:20 「善光寺と門前の風景」    宿野 隆史 (長野市教育委員会)   
16:20~17:00 「中世大隅正八幡宮をとりまく空間構造」    重久 淳一 (霧島市教育委員会)   
18:00~ 懇親会 「ホテル古柏園」  参加費5,500円   
         
7月3日(日)         
 9:20 開会・諸連絡      
  Ⅱ 人とモノの動きから描く      
 9:30~10:10 「湊からみた中世都市・見付」    木村 弘之 (磐田市教育委員会)   
10:10~10:50 「武蔵府中と鎌倉街道上道」    深澤 靖幸 (府中市郷土の森博物館)   
10:50~11:30 「宿と渡の歴史的空間」    榎原 雅治 (東京大学史料編纂所)   
12:40~13:00 問題提起 「一遍にとっての鎌倉」    高橋 慎一朗 (東京大学史料編纂所 )   
13:00~15:00 討   論   司  会: 鋤柄 俊夫  高橋 慎一朗   
15:00 閉   会      
         
  申し込み方法      
         
※ 参加希望者は、懇親会のご出欠を含めて帝京大学山梨文化財研究所へはがき・FAX・E-mailで         
      6月28日(火)までにお申し込み下さい。         
  帝京大学 山梨文化財研究所【萩原・畑・林】      
  〒 406-0032 山梨県笛吹市石和町四日市場1566      
  TEL 055-263-6441  FAX 055-261-0462      
      E-mail aae29890@pop21.odn.ne.jp      
         
  石和町内宿泊施設案内      
         
※ 宿泊は、各自で下記のホテル等にお申し込み下さい。なお、空室状況や料金などは、各ホテル       
に確認して下さい。講師の先生方および事務局は、「スパランド ホテル内藤」に宿泊予定です。       
         
    No.1「スパランド ホテル内藤」TEL 055-262-7001  \6,500~             研究所から徒歩 4分
    No.2「ホテル古柏園」TEL 055-262-5890 \16,800~(一泊二食付)                 研究所から徒歩20分
   No.3「ルートイン甲府石和」TEL 055-262-1011  \6,500~               研究所から徒歩15分

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2011年5月18日 (水)

御霊神社の稚児行列

うっかりして賀茂祭を見過ごした5月の夕方
今出川で牛車に出会う

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2011年5月16日 (月)

下津(おりづ)について考える

15日の日曜日に愛知県の鈴木さんのプロデュースで稲沢市の下津遺跡の検討会がおこなわれました
豊富な資料と詳細な情報の検討による実に有意義な研究会でした
昨年度からおこなわれた下津遺跡(鎌倉街道遺跡群)の調査は、樋上さんお世話で、ちょうど室町時代の推定鎌倉街道がみつかった秋に見学することができました
下津が史料に登場するのは平安時代末期の源平記
その後、執権の北条氏や叡尊の記録、十六夜日記、そして足利尊氏と義満および滞在するなど
陣をおく場所であったり、宿であったり、城であったりと
古代末期から街道に沿った地域の重要拠点として存在していました

今回の調査によれば、その街道にあたる遺構が、調査区の東からみつかり、さらにその西からは溝で区画された館跡や、土師器が埋められた土坑や墓などが密集してみつかり
あらためてこの地の重要性が確認されたと思います
ただし、いくつかの検討しなければならない問題もあきらかとなり、それが今回の検討会につながったようです

最初の問題は遺跡の時期が新旧の2時期にわかれ、街道はその新の時期だけにあることです
ちなみに旧の時期は、おおむね13世紀おわりから14世紀はじめ、新の時期は15世紀後半代になります
この新の時期が推定されたのは、街道の盛り土の遺物の年代と、その下からみつかった井戸に捨てられていた宝篋印塔に応永25年の年号が刻まれていたことによります
この時、墓石である宝篋印塔を破壊して、さらに道を含めた土地区画を大きく改変する出来事があったことになります
新の時期の遺構のなかで、道と、溝で区画された館の範囲は、現在の地割りに一致し、字名とあわせて、そこから街道沿いにあった寺院や居館の姿が復原さえることになります
その様子は、野路岡田遺跡や堂山下遺跡のような連続する屋敷地をもった中世後半の集落の姿を示し
守護所がおかれたとすれば、六所宮を中心に展開する武蔵府中の姿とも重なるもの
ただしそれはあくまで15世紀後半の下津の姿だったことになります

それではそれ以前の下津はどのような姿をしていたのでしょうか
そこで登場したのが地形の詳細分析でした
自然堤防の切り合い関係と微細な地形分析により
現在遺跡の東を流れている青木川が古代まで遡らない可能性が説明され
中世のある時期は、現在の蛇池から西南へ流れていたことが指摘されました
また、遺跡の東には五日市場と九日市場の地名もあり
その頃はべつの流路がその東を南下していた可能性も報告されました

遺跡を見るときに、現在の風景に注意すると同時に
現在の地形もうたがってかからなければならないことは
備前福岡の市や静岡の元島遺跡や益田の遺跡など枚挙にいとまがありませんが
ここでもそれがあったわけです
旧時代の遺構をみれば、新の時代の道の下にも集落が東へ続いていたことがわかります
おそらく、旧の時代の下津は、鈴木さんが言うように現在の五日市場までつながっており
青木川は遺跡の西を南下していたのでしょう
そしてその時の道は
古い遺物の分布にしたがえば、遺跡の西よりを南北にはしって萱津と岐阜をつないでいたと思います
現在の地割りと字名が15世紀後半以降であれば
市名の起源についても検討する余地はありますが
あるいは鈴木さんの復原図のように、遺跡のさらに東をめぐって市を通過していたとも考えられます
叡尊や義満が滞在した下津の姿は
この姿だったと思います
詳しい検討はしていませんが
土師器がみられることも
京都との関係とあわせて伊勢御厨との関係も考えてみたいとはおもっています
それが15世紀の後半に現在の地割りに姿を変えます
街道が川に沿っているから
おそらく青木川が現在の流れになったのも同じころではないでしょうか
資料からその地形をみれば
あたかも灌漑にふさわしいところを流れているから
下津を拠点とした盟主が耕地開発をおこなった結果とも考えられます
そうすると
古い下津は「宿」
新しい下津は「城」
という異なった性格付けになるでしょうか
今後も注目させていただきたいと思います
鈴木さんをはじめとする関係者のみなさんに御礼を申し上げます

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2011年5月15日 (日)

下津と折戸

下津と折戸
庄内川をさかのぼった先が萱津
その先が清洲
そして下津
一宮

from 鋤柄俊夫

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2011年5月13日 (金)

プレミアム

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田辺好天

田辺好天


from 鋤柄俊夫

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2011年5月 8日 (日)

ここは鹿ヶ谷博古館前

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2011年5月 7日 (土)

名人の技

名人の技


from 鋤柄俊夫

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2011年5月 6日 (金)

手本

手本


from 鋤柄俊夫

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ツツジ

ツツジ


from 鋤柄俊夫

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2011年5月 4日 (水)

Iスペシャル

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笋町(たかんなちょう)会所

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日向大神宮

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蹴上なう

ひかりちゃんとすみとくん

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M企画

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インクライン

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2011年5月 2日 (月)

黄砂の富良野

黄砂の富良野


from 鋤柄俊夫

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2011年5月 1日 (日)

民博で開催中の特別展 ウメサオタダオ展―知的先覚者の軌跡を見に行きたいと思います

from 鋤柄俊夫

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