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2011年8月28日 (日)

京都府埋蔵文化財研究会の覚え書き

鹿背山城跡について
1、遺物のポイント
 15世紀終わり~16世紀中ごろ
 土師器小皿の大量廃棄
 土製煮炊具の使用
2、史料のポイント
 15世紀終わりに興福寺との関係
 16世紀に松永久秀との関係
 ただし松永久秀は1559年以後、信貴山城や多聞城を本拠に大和などを攻め活躍したため、遺物の時期とあわない
3、遺跡の検討
 土師器小皿と土製煮炊具は年代が興福寺関係の史料と整合するため、寺の儀式に伴うものではないか?
 それでは曲輪・堀切・竪堀群などは誰が造営したか?
 鹿山寺の意味はなにか?
4、遺跡の解釈-寺から城へ
(1)寺が寺のまま城になる場合
  敏満寺・百済寺・平泉寺・根来寺
(2)寺に新たに城が入ってくる場合
 a:成相寺・笠置寺・金胎寺・信貴山→高い山上
 b:飯盛山城(慈眼寺)→高い山上と山下
  c:多聞城(眉間寺)→低い山上(興福寺と松永久秀)
☆鹿山の意味を聖なる山(鹿背山・小塩山・青龍山)と寺(鹿山・勝持寺・敏満寺)の関係とすれば、鹿背山は(2)-a・b
 飯盛山城・信貴山城・笠置城・金胎寺?との共通性は?
☆将軍足利義晴・山城守護細川晴元(16世紀中ごろ)に山城守護代となった木沢長政との関係?

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